マレーシアに留学できた
わいずみです。19歳です。
ブログを書かな過ぎて19歳になってしまいました。
てか年齢変わってから半年以上が経過しています。こわい
(この部分を書いてからさらに何か月か経っているため20歳が近づいています)
大学生活の目標の一つに挙げていた留学について進展があったので報告しようと思います。
目次
1.目的
そもそもなんで留学したがってたんだ?という話です。
にも書きましたが、一番の目的は自分の中で英語力の向上ではなく、
若いうち(時間と豊かな感受性があるうち)に国外の生活、人間に触れることで国際的な知見を高める
でした。
これについては、留学で刺激を受けて新たに意識が変容した気がします(後述)
2.プログラム
自分が参加したプログラムについて具体的に述べていこうと思います。
このプログラムは大学の用意した協定留学の中の一つで、短期(28日間)マレーシアに滞在し、他の留学生と英語の授業を受けるものです。
協定留学なので、単位として認定してもらえます。
一か月で一つの授業と同じ単位をもらえるのはお得なのでは??と思いますよね((
ですが流石に英語学習がメインの留学なので、そこまで甘くありませんでした。
平日ですが、2時間の授業が2つ、合計4時間の授業が設けられています。
平日の授業はテストを除いて15日程度あり、それぞれの授業が重く、課題も頻繁に出されました。帰国してからもレポートがあるので単位をもらうには十分の内容でした。
土日はレジャーの予定が組まれていて、参加は自由ですが、土日に目いっぱい遊ぶと体力が持たないくらいには盛りだくさんの内容でした。
3.マレーシアでの生活
マレーシアでは、大学の付属の寮に滞在しました。
自分の大学からは11人が派遣され、女子6人と男子6人で2つの部屋に分かれました。1つの部屋はさらに4つの寝室に分かれていて、私は先輩と二人部屋でした。
日本で一人暮らしの自由さを満喫していた私にとって、留学で一番しんどかったのは一人の時間がないことだったかもしれません。
食事は朝昼は大学の学食でほぼ無料で食べることができました。マレーシアの食事、と聞いてもあまりピンとこないですよね。この1か月間は学食に限らず、チキンライス(海南鶏飯)とカレーとミー(麺)を高頻度で食べた印象です。米はもちろんインディカ米でした。日本食及び日本米が恋しくて辛そうな方もいましたが、自分は日本にいるときからインドカレーやアジアの料理にが好きだったので、異国の料理だと割り切って楽しめました。レストランに行くと圧倒的に日本との物価の差を感じます。500円でおなか一杯食べれます。
向こうではほぼ毎食写真を撮りました。これはその一部です。学食はバイキングのほかに単品のメニューも多くて結構楽しかった…当たりはずれがあるのがまた一興というか、
鶏肉や魚にはほとんど大きい骨がついてたので、それは少しストレスでした。学食のチキンライスだったり、焼肉屋さんの肉を食べたとき骨のない肉のおいしさに感動しました(笑)
味付けは甘辛いかスパイシーかのどっちかで飽きかけましたが、帰国してからこうして写真を見返してみると舌が恋しくなります。
マレーシアの生活で特に役立ったサービスがGrabです。これは日本で言うUberにあたるもので、アプリから食事のデリバリーを依頼したり、車を手配したりすることができます。
これがあったおかげで、韓国料理やファストフードを注文したり、車でサッとクアラルンプールまで出かけて遊びに行ったりできました。
Grabは日本のタクシーよりかなり安く、学校まで20分ほど乗車した際も200円程度しかかかりませんでした。基本的には集団行動なので、交通費はかなり浮きます。
マレーシアの昼の気温はだいたい35度くらいでした。「こういう国ってカラッとしてて実は日本よりすずしいんだろうな~」と思っていましたが、実際は普通に湿度も高くてバカ暑かったです。そして部屋の滞在先のクーラーが夜9時から朝8時までの間しかつけられず、昼間はシーリングファンですごしていました。暑がりにはキツい。
4.平日の1日
2月のマレーシアは日の出が遅く、7:30ごろにやっと明るくなってきます。クラスのレベルによって1日のスケジュールが変わりますが、自分の場合は9:45にバスに乗り、11:15の授業開始まで朝ごはんを食べたり授業に備えたりしてすごします。
ここから授業が始まります。
クラスには、日本、韓国、中国、インドネシア、カザフスタン、イエメン、オマーン、リビア、ヨルダン、コンゴなど、ほんとに多国籍の生徒が集まっていました。マレーシアがソフトなイスラム系の国だからか、アラブ系の生徒が多く感じました。
25歳以下の学生がほとんどですが、子持ちのお父さんも何人もいて、勉強に年齢は関係ないんだな、と体感で感じました。
午前中はReading&Writingの授業です。先生はサスキアという若い女性の先生で、めっちゃ可愛かったので頑張れました。Readingは語彙力をつける内容がメインでした。読んだ内容を自分のもっている語彙と文法の知識で要約しなおすワークとか実力が足りないのを痛感させられました。Writingはエッセイの書き方が中心でしたが、3人組になって書く機会には議論も必要だったのでつねに頭を使っていました。(どんなシチュエーションでも意思疎通ができないとだから4技能の中で一番Speakingが大切なのでは?と思うようになる)
13:15-14:15が昼休憩は学食でご飯を食べました。日本人以外の留学生と食べたいと思っていたけど、結局授業でつかれた頭を休めたくて同じ大学の人たちと話しながら食べてました。
午後はListening&Speakingの授業です。先生はシーラという女性の先生で、毎日豪華なサリーをまとっていて素敵です。おちゃめな性格で、生徒とも積極的にコミュニケーションをとる方でした。Listeningは一番難易度が高かったと思います。今まで触れてきた教材とは違い、電話の音声だったり、街の音が入っていたり、早口だったり、生活の中で触れる声そのものでした。ですがクラスメイトのほとんどが理解できていなかったのでレベルが合っていないのでは?とも思います。Speakingはグループに分かれてディスカッションをしたり、週に一度はクラスメイトの前に立って発表をしました。単語や文法の知識がそれほどない生徒でもSpeakingの能力に長けている人が多くて、非常に羨ましかったです。頑張って話しているつもりでも「君は静かすぎる」と言われてしまいました。母国の授業では主にSpeakingを鍛えられるみたいな話も聞いたけど、実際どんな教育なんだろう。
16:15に授業が終わったらバスでアパートまで帰ります。暗くなるのも夜19:30頃だったりして、時間はたくさんあるので都会の中心までおでかけしたりショッピングモールに行ったりできます。同じ大学の人たちについていって初めてクラブに行きましたが、私には合いませんでした。シーシャのお店に行くなどもしました。ムスリムがたくさんいて世界史の教科書の中みたいな空間だった。毎日夜ご飯をどこで食べるかが楽しみでした。課題もしっかり出るし、プレゼンテーションが結構重かったりしたので、夜更かしして準備することもありました。毎日大変で、1週間がすごく長かったです。この1か月はまったくあっという間じゃなかった笑
5.休日の1日
土日は基本的にアクティビティが用意されていて、参加は自由ですが交通費がかからないし有名どころにも行けるのでできるだけ参加しました。観光名所の説明は色んなサイトに記述があるので割愛します。
この他にもサマーランド的な施設に行く日もありました。(バトゥ洞窟とチャイナタウンの前日だったので参加しませんでした)
6.留学中のトラブル
初めての海外生活、色んなトラブルがありました。ないわけがない。
・現地のSIMがつかえない
ポケットWiFiのレンタル費用が高かったので、現地でSIMカードを購入して費用を抑えようとしました。ちゃんと情報収集ができていなかった私は、どこからか「SIMフリー端末はSIMロックを解除していく必要がない」「iPhoneはSIMフリー」という二次情報を見て、SIMロック解除をしないで渡航しました。そして現地のSIMが使えず。日本の両親に連絡を取って、SIMロックを解除してもらい、なんとかWiFiがない環境でもインターネットが使えるようになりました。スマホ依存の私にはそれまでの数日がかなり辛かった。
・持ってきたドライヤーが使えない
日本からドライヤーを持ってきたのですが、いざ現地で使ってみたらすごい勢いで作動し、焦げ臭いにおいが。ドライヤーは海外に対応している製品が多いですが自分のものはそうではなく、同室の先輩のドライヤーを借りることになりました。
・アパートの部屋の鍵が中から開けられなくなってしまう
朝バスに乗るために部屋を出ようとしたら鍵が開かなくなってました。自分と同じバスに乗るルームメイトの二人の先輩と焦りながらも管理人さんに電話をかけ(もちろん英語)、なんとか外から開けてもらえました。朝早く出る組の3人が鍵を閉めるときに上手くいってなくて内側から動かせなくなったようです。朝はだいぶ時間に余裕があったので遅刻はしませんでした。
・Grabにクレジットカードが登録できない
暮らしになれてきたころ、Grabでご飯を頼もうとしたらできない。カードが登録できない。理由を調べたら、SIMカードを変えたためスマホの番号が現地のものになっていて、クレジットカードに登録されている番号と違うからでした。現地についたらSIMカードより先にGrabの設定をしなきゃいけなかったのか・・・
・集団食中毒(疑惑)
これは自分が免れたトラブルですが、日本人学生が同時に何人も同じ症状で学校を休んだ日がありました。みんな発熱し、おなかを壊していたため、「食中毒では?」といううわさが流れました。自分は直前の週末の気温がものすごく高かったことや、私が行かなかったサマーランド的な施設のプールの水が原因では?と考えていますが、原因はわかりませんでした。
・同じ大学の先輩が帰国できなかった
3月頭、コロナへの心配感が強まってきたころです。帰国の飛行機に乗るために空港に来ましたが、先輩の一人が発熱し、起き上がるのもしんどい状態でした。その方にリーダーが付き添い、他のメンバーは搭乗しましたが、検疫で先輩とリーダーが登場できず、一緒に帰国することができませんでした。留学が終わった達成感と安堵の中で、そのことがショックでした。その方はコロナではなくインフルエンザにかかっていたこと、1週間後には帰国できたことがわかりました。海外に一人残される気持ちを思うと堪らなくなります
7.成果
・大抵のことは何とかなると思えた
前述のとおりトラブルはたくさん起きましたが、結局何とかなるものですね。
・海外に友達ができた
留学前からムスリマの友達を作ることを漠然と目標にしていましたが、実はそんなに踏み込めませんでした。その代わりに韓国から来た女の子とすごく気が合って、InstagramのDMでメッセージを送りあうようになりました。お互いの国に遊びに行く約束をするまでになりましたが、コロナ禍の影響でまだ叶っていません。留学先のクラスメイトとは主にInstagramで繋がり、今でもお互いの生活をのぞき見ては留学中のことを思い出します。
・英語学習の意識が変わった
自分の当初の目標は最初に書いた通りですが、他の日本からの留学生は英語への意識がかなり強く、TOEICの点数を留学の成果の指針にしていたり、オンライン英会話に登録していたりしていて、自分もやらねば!と一番思わせてくれました。言語は使わないとどんどん衰えていくので、オンライン英会話に挑戦するという新たな目標ができました(未だに達成していません)
・ネイティブじゃない英語に触れることができた。
グローバル化がますます進む世界で、職場でも英語を介してコミュニケーションをとる必要性が出てくると思います。もちろん、そこで関わるのはネイティブの英語話者ばかりではありません。留学したことで、世界中の人が英語を学んでいることを実感しましたし、その中に地域ごとの強いクセがあることも知りました。初めてアラブ圏の英語学習者の英語を聞いたら、語尾の「r」を「ル」とはっきり発音するので全く聞き取れないかもしれません。ですが、今回そうした多国籍の英語に触れられたことで、グローバルなコミュニケーションへの扉が少し開いたような気がします。また、自分自身もネイティブ的な完璧を目標にしなくても、コミュニケーションの手段としての英語に狙いを定めて勉強できる気がしました。 これが一番の成果でした。
8.あとがき
長くなりましたが、最後まで目を通していただきありがとうございます。7/12に書いた部分も多いため、やや鮮度が落ちた文章になったかもしれません。ほんとに濃い1か月で、文章に起こすのが億劫になっていました。この経験を風化させずに今後も行動を起こしていかねば、とまた思えています。
Special Thanks : APLC
近況報告(~2019/7)
わいずみです。18歳です。
最近かなり多忙なのと、別にもう一つ編集中の記事がちゃんと時間をかけたい内容なので近況報告をば。
(ブログはまだかとせかすほど待ってくれてる人がいることが驚きでした。ありがとうございます。7/11 ほぼ書き上げていたのにデータが飛びました。こまめに保存しましょう。)
(テスト期間に入ってまた忙しくなってしまい、前期の振り返りになってしまいました)
初めての記事で示した目標の10項目に沿って振り返っていきます
目次
0.総合
6月
部活で演奏会があったり、IELTS対策講座を受け始めたり、レポート課題が増えてきたりでかなり忙しかったです。よく頑張りました。1か月のあると色々考えが変わりますね。
7月
急にしんどくなってきて大学の学生相談室に行きました。ひどくなる前に早めに訪れてみたつもりだったんですが、相当追い込まれてたらしいです。
なので反省は少し甘めでお送りします。
1.学業
5月
課題をかなり余裕を持って進められたことが結構驚きでした。
大学って空きコマがあるのが最高ですね。
6月
忙しさのピークの後に提出できなかったレポートがありますが、救済措置のあるものだったので現在進行形で頑張っています。
小テストもそれなりに取れていました
7月
急にペースダウンしました。2回も授業に寝坊してしまったのは本当に愚か。
GPA3.5を漠然と目標にしていましたが、学生相談室で「初めてなんだから急に高すぎる目標にしないほうがいい」といわれて、なるほど確かにと思いました。
全てを最初から両立させるのは無理と分かっていたからやや妥協して取り組もうと思ってたのに、学業に関する妥協点は全く考えてませんでした。
S(5)ばっかり取るのは普通に難しいのでどれもA(4)あたりを取れてるとみて、GPA3.2くらい取れてたら合格、と思うことにしました。それくらいは頑張れた。
テストはぼちぼちでした。ちゃんと授業を受けてたのでテスト勉強もそれほど苦でなかったです(よかった)
2.部活動
楽器が好きだから難なく頑張れました。
5月
基礎練習中心に力を入れてしっかりブランクをなくせたと思います。
初めてのオーケストラでの合奏は色んな条件が重なってガチガチに緊張してしまい、オケ全体にも迷惑をかける演奏をしてしまったし先輩たちにもその後たくさんフォローさせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいでした。たまたま帰省する日だったので実家でぼろ泣きしました。
次の合奏に向けて勉強して準備ができたので、2回目の合奏では音楽の楽しさだけにどっぷり浸かれました。
6月
演奏会ではアシスタントとしてブラームスの大学祝典序曲という曲のトランペット1stを吹かせてもらいました。
いや超楽しかったです演奏会。ステージの興奮を思い出しました。
序盤にド緊張するソロ(ソリ)があるんですが、いいイメージを持って吹けました。
トランペットを始めたきっかけがオケの演奏を見たからではあるものの、特に交響曲が好きとか思ったことはなかったのですが、吹いてる時の
本当にやりたいことをやってるぞ!!!
感がすごかったです。アドレナリンがすごい。
プロにならなくたってオケの中で演奏して、こんな喜びを感じれるのか。と思うと同時に、これをきわめて生業にできたらどんなに幸せか、と妄想しました。
演奏会が終わって部活が落ち着いてから来年度の2年生の役職決めがあり、私は副部長を務めることになりました。なんだか凄そうですが、責任が重かったり、かなり忙しい係や役職が他にもたくさんあるので、2年生で部活のナンバー2に!?とかそういうわけではありません。
とはいえプロ副部長になれるように今から研究したいです。
3.バイト
6月頭に始めようと思って蒙古タンメン中本さんに申し込んだんですが縁がありませんでした。なかなか連絡がこなくてかなり時間を奪われてしまったのですぐに申し込める派遣のバイトを始めました。初めてのバイトに行けたのは6/23のことでした。
忙しいから派遣のバイトにしたつもりが、なかなか自分の予定に合う案件がないこととか、移動に時間がかかってしまうことを考えると自分に合ってない気もしてきたので、近場で安定したバイトを探そうと思っています。
4.留学
まあまあ頑張ったと思います。色んな説明会に行ったり、1年生向けの短期留学のプログラムに申し込んだりしました。(落ちた)
この夏休み留学できないのがすごい悔しいので何としても海外で何か体験したくて国際ボランティアに申し込むことにしました。英語圏じゃないし4日間だけど一人で初挑戦になるのできっと刺激的だと思います。(この部分を書いてしばらくして、申し込みをしようとしたら枠が埋まってました。辛い)(絶対リベンジします)(それなら免許合宿行けばよかった)
部活で大事な役職についてみたい気持ちが強くなったので、留学を見つめなおす必要が生まれました。
今までは3年次に半年間インターン込みの英語圏留学をしようと考えていたのですが、元の目的を考えると必ずしもそのプログラムじゃなきゃいけないというわけでもないな、と。
英語がペラペラになりたいというよりは、若いうちに国際的な視野を広げておきたいというか。それなら部活と両立しながら国際ボランティアとか短期留学にたびたび赴いて色んな国を見に行ったほうがいいんじゃね?
とか色々考えています。親にも相談したい。(資金は親に頼るに決まってるので)
国際ボランティアは本当に盲点でした。説明会行ってなかったらずっとボランティアに興味なかったと思います。
5.趣味・遊び
空きコマに図書館で映画を見たりしていたんですが、忙しくなってからはほぼ見れていません。大学生のうちに有名どころは教養として見ておきたいと思ってるので、夏休みを活用して色々見たいです。
最近は本屋さんに行くという趣味ができました。月1.2冊買って読めたらいいなと思っています。
6.人間関係
大学でもいい感じの距離感で友達と関われているし、
高校の友達とも頻繁に連絡をとれていたし、
恋人ともお互い忙しいなりに仲良くやっているし、まあまあうまくいってると思います。
大学の先生にも会話できる人ができたのはかなりポイント高い
7.家事
忙しくなる前まではかなり料理を頑張っていました。
夏休みに入ってすこしゆとりができるからまたちゃんとした料理がしたいです。
今一番の課題は掃除
整理整頓が下手ですぐ散らかしちゃう
毎日少しずつ掃除をすることを目標にしてるのでそれをもっと意識したいです。
それこそ本読んで勉強したい
8.資格取得
IELTS対策講座を受講したので近々受験しようと思っています。
実力は全く足りていないので夏休みにまとまった時間を使って英語の勉強をしっかりしようと思っています。
9.計画
自己管理については、忙しくなってきてから追いつかなくなってきました。
学生相談室で<睡眠日誌>と<テスト・課題リスト>というプリントをいただいて、それを中心に動いてみたりしました。
その後手帳の有用性に気付いて手帳を買いました。
複雑な予定を整理したいときにすぐ手帳に書けるようになったのでかなり進歩した気がします。継続!!!
10.何か新しいこと
ブログについては2か月以上更新できなかったのが悔しいです。更新しないとどんどん書くことが増えていきますね。今後は何とか毎月あげたいです。
新しい目標として、社会人との人脈をつくりたいと思うようになりました。
具体的にはどうすればいいか全く考えられていないので、調べたりアドバイスをもらったりしながらこういったことも考えていきたいです。
進展があったらここでお知らせします。
近況(前期)報告ということで面白みの無い内容だったかとは思いますが、ここまで読んでくださってありがとうございます。
こんな感じで頑張っています。
少しずつ両立できることを増やしていって、スーパー大学生になれるように頑張ります
おわり
SpecialThanks:学生相談室
大学落ちたけど意識は高くなってブログ始めた
わいずみです。18歳です。
初めての投稿なので、お試し程度にプロローグ的な内容にしていこうと思います。
※長文
目次
自己紹介
2000年9月生まれ
出身…茨城県
職業…大学生
趣味…トランペット,映画鑑賞
好きな食べ物…ラーメン,辛い物
今までの学生生活
中学生時代から吹奏楽部に所属してトランペットに明け暮れていました。
昔から計画を立てて自主的に学習することが下手だったので、部活から帰って倒れるように眠る生活をしていれば中学校で勉強に置いていかれるのも当然…でしたが、ラッキーなことに、小学校卒業と同時に実績のある塾に入れてもらえたこと、勉強の楽しさを知っていたこと、それまでに多くの本に触れる機会があったことで、中学では苦しみながらも誇れる成績を取っていました。
しかし自主学習の習慣は全くついておらず、塾の先生に「受かっても高校で崩壊するぞ」と言われるほどでした。(マジで言われた)
塾の厳しい指導と親のサポートのおかげで、いわゆる進学校に合格することができたわけですが、経験を積んでる塾の先生ってすごいもので、言われたとおりの高校生活になってしまいました。
高校は め ち ゃ め ち ゃ ハードでした。
予習をしないと全く授業についていけないし、毎日しっかり自主学習(?)をしないと終わらない量の課題がありました。ただでさえ高校の学習内容はレベルが上がっているのに、自分は受験が終わってから燃え尽き症候群を引きずりまくり、久しぶりに部活に燃えて毎日居残って練習しまくり、テスト前は課題を終わらせるために徹夜しまくり…
自分なりに周りについていこうと努力するも、なんやかんやで(?)精神的に病んでしまったりして、マジの崩壊。周りの人には本当に心配と迷惑をかけました。ここで土下座します。
三年生になって課題が減り、部活を完全にやり切って引退するまでは精神的に不安定な状態が続きました。
大学受験失敗
まんまです。受験勉強に本腰を入れたのは6月からでしたが、それまでの後れを取り戻すには勉強の量も質も全く足りませんでした。
またメンタルから崩れてしまうことを恐れて、無意識に“自分を追い込みすぎない限界”を設定してしまい、頑張らなきゃいけない時期にそこまでしか頑張れなかったと思います。(頑張ったら受かるも正しくないしね)
第一志望の大学に4回試験を受けに行きましたが、センター利用も含めて全て不合格でした。そんな中で現在通っている大学から合格通知をいただきました。この頃は受かってもここに通うつもりはありませんでした。
それから
一応ここが本題です
合格発表がまだ全て終わっていなかった2月の中旬に、私は大学に落ちたという確信があり、毎日大泣きでした。私大入試厳格化についてツイートして軽くバズるなどもしていた。
気持ちを整理しなければいけないと思い、2つのことを紙に書き出して可視化しました。
一つ目が自分が大学に落ちた要因。もう一つは浪人して第一志望の大学を目指す選択肢と後期の国立*二次試験を受ける選択肢、それぞれのメリットとデメリットです。
(*なぜ後期国立なのかという話は余談なので飛ばします)
自分には2つの選択肢のどちらを選ぶかを決断する余裕がなかったので親を頼りました。そして父親が夜中まで私と話してくれました。
落ちたショックや親への申し訳なさ、どちらの道も辛いことが分かっている絶望感で泣きじゃくっていましたが、ゆっくり私が決断できるように導いてくれました。飽きるほど色々な話をしてくれました。その中で、今の私のモチベーションとなっているのが、「何と戦っていくか」「何に誇りを持つか」という話でした。
まず「何と戦っていくか」
2つの選択肢のどちらにも私が戦わなくてはならないことがありました。浪人することを決めれば、また一年これまで以上に努力し、様々なことを我慢しなければいけません。それに来年受かる保証などありません。一方で、滑り止めの大学に進学すれば“大学に落ちた”というネガティブな感情をずっと抱えることになります(そのうち消えるだろうと考える方もいると思いますが、私はきっと抱え続けます)。どうなろうと、何かと戦わないと前に進めないし、成長もできないんだね、という話をしました。
そして「何に誇りを持つか」
これは、自分が何を自信として生きていくかの問題です。有名な大学に入ればその名前に誇りが持てるでしょう。高校の同級生からしたら私が目指していた大学は滑り止め程度かもしれませんが、私にとってはずっと目指していた大学です。その大学には交響楽団があります。人数も多いし、演奏もすごいし、講師の先生も豪華です。そこで活躍できたら絶対誇りが持てると思います。でもそれだけではありません。大学で自分がどれだけ頑張ったか、どれだけ充実させられたかに誇りを持つこともできます。
私は高校の名前に誇りを持っています。しかし、勉強もおろそかにしていたし、特色のある文化祭実行委員会に参加することもなかったので学生生活それ自体に誇りは持てていません。私の高校には吹奏楽部があります。決して強豪校ではありませんが、私は部活での頑張りと最高の引退公演、魅力的な仲間に誇りを持っています。
何に誇りを持つか、という観点は私の選択に大きく影響しました。
最終的に私は第一志望ではない大学に進学することを決めました。
もう一年今までと同じ勉強をして、自分を構成する好きなことを我慢して抑圧するよりも、新しいことを吸収し、今年は色々体験する一年にして、誇りの持てる充実した大学生活にする。という決断をしました。
親は「どうしても合わないと思ったり、どうしても悔しい気持ちが残るようならまた受験すればいい」と言ってくれました。
その翌日、充実した大学生活にするために立てた目標のメモがこれです
うわぁ・・・
この10項目をすべて両立させようというわけです
無理やろ。親にも友達にも無理って言われました。でもやる。
これくらいやらないと自信取り戻せない気がする。
ひとつひとつ解説したいところですが、何せ10項目もあるので割愛します。
この画像をメインでネット上に発信して自分を追い込もうと思ってたのに他の話が長くなってしまいました。ここでも計画性の無さが…
5月時点では1,2,4,5,7,10は頑張れていると思います。(甘口評価)
この10項目を軸にして大学生活を送っていくつもりなので期待してください。
自分も自分に期待して負荷をかけていこうと思います。きっと高校生活前半や受験生活よりストレスも少ないだろうし、できるだけ頑張ります。
まとめ
上の画像の10項目めの「何か新しいこと」そのひとつめがブログです。
読んでわかる通り私は自分の発信したいことを文章にするのが好きであっても得意ではないし、「思います」「という」「そして」などを多用してしまう語彙力の無さです(読んでいて気になっていなければ良いのですが、書きながら何度もそこに変更を入れました)。
非常に読み苦しく何が言いたいのか分からないことも多くあると思いますが、毎回濃い内容が書けるように充実した大学生活にしていこうと思うので気が向いたら読んでください。
読んでくださった人の潜在意識のどこかで私の言葉が何かいい方向に作用してくれたらいいな、と思っています。
おわり
Special Thanks:親