わいずみのブログ

もしかしたら誰かに役立つかもしれない経験と考え

マレーシアに留学できた

わいずみです。19歳です。

 

ブログを書かな過ぎて19歳になってしまいました。

てか年齢変わってから半年以上が経過しています。こわい

(この部分を書いてからさらに何か月か経っているため20歳が近づいています)

 

大学生活の目標の一つに挙げていた留学について進展があったので報告しようと思います。

 

目次

 

1.目的

 そもそもなんで留学したがってたんだ?という話です。

 前回の記事近況報告(~2019/7) - わいずみのブログ

にも書きましたが、一番の目的は自分の中で英語力の向上ではなく、

若いうち(時間と豊かな感受性があるうち)に国外の生活、人間に触れることで国際的な知見を高める

でした。

これについては、留学で刺激を受けて新たに意識が変容した気がします(後述)

 

2.プログラム

 自分が参加したプログラムについて具体的に述べていこうと思います。

 このプログラムは大学の用意した協定留学の中の一つで、短期(28日間)マレーシアに滞在し、他の留学生と英語の授業を受けるものです。

協定留学なので、単位として認定してもらえます。

 一か月で一つの授業と同じ単位をもらえるのはお得なのでは??と思いますよね((

ですが流石に英語学習がメインの留学なので、そこまで甘くありませんでした。

 

 平日ですが、2時間の授業が2つ、合計4時間の授業が設けられています。

 平日の授業はテストを除いて15日程度あり、それぞれの授業が重く、課題も頻繁に出されました。帰国してからもレポートがあるので単位をもらうには十分の内容でした。

 

 土日はレジャーの予定が組まれていて、参加は自由ですが、土日に目いっぱい遊ぶと体力が持たないくらいには盛りだくさんの内容でした。

 

3.マレーシアでの生活

 マレーシアでは、大学の付属の寮に滞在しました。

 自分の大学からは11人が派遣され、女子6人と男子6人で2つの部屋に分かれました。1つの部屋はさらに4つの寝室に分かれていて、私は先輩と二人部屋でした。

 日本で一人暮らしの自由さを満喫していた私にとって、留学で一番しんどかったのは一人の時間がないことだったかもしれません。

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リビング

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二人部屋


 食事は朝昼は大学の学食でほぼ無料で食べることができました。マレーシアの食事、と聞いてもあまりピンとこないですよね。この1か月間は学食に限らず、チキンライス(海南鶏飯)とカレーとミー(麺)を高頻度で食べた印象です。米はもちろんインディカ米でした。日本食及び日本米が恋しくて辛そうな方もいましたが、自分は日本にいるときからインドカレーやアジアの料理にが好きだったので、異国の料理だと割り切って楽しめました。レストランに行くと圧倒的に日本との物価の差を感じます。500円でおなか一杯食べれます。

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マレーシアの食事

向こうではほぼ毎食写真を撮りました。これはその一部です。学食はバイキングのほかに単品のメニューも多くて結構楽しかった…当たりはずれがあるのがまた一興というか、

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マレーシアの食事

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学食のチキンライス

鶏肉や魚にはほとんど大きい骨がついてたので、それは少しストレスでした。学食のチキンライスだったり、焼肉屋さんの肉を食べたとき骨のない肉のおいしさに感動しました(笑)

味付けは甘辛いかスパイシーかのどっちかで飽きかけましたが、帰国してからこうして写真を見返してみると舌が恋しくなります。

 

マレーシアの生活で特に役立ったサービスがGrabです。これは日本で言うUberにあたるもので、アプリから食事のデリバリーを依頼したり、車を手配したりすることができます。

これがあったおかげで、韓国料理やファストフードを注文したり、車でサッとクアラルンプールまで出かけて遊びに行ったりできました。

Grabは日本のタクシーよりかなり安く、学校まで20分ほど乗車した際も200円程度しかかかりませんでした。基本的には集団行動なので、交通費はかなり浮きます。

 

 マレーシアの昼の気温はだいたい35度くらいでした。「こういう国ってカラッとしてて実は日本よりすずしいんだろうな~」と思っていましたが、実際は普通に湿度も高くてバカ暑かったです。そして部屋の滞在先のクーラーが夜9時から朝8時までの間しかつけられず、昼間はシーリングファンですごしていました。暑がりにはキツい。

 

4.平日の1日

 2月のマレーシアは日の出が遅く、7:30ごろにやっと明るくなってきます。クラスのレベルによって1日のスケジュールが変わりますが、自分の場合は9:45にバスに乗り、11:15の授業開始まで朝ごはんを食べたり授業に備えたりしてすごします。

 

 ここから授業が始まります。

 クラスには、日本、韓国、中国、インドネシアカザフスタン、イエメン、オマーンリビア、ヨルダン、コンゴなど、ほんとに多国籍の生徒が集まっていました。マレーシアがソフトなイスラム系の国だからか、アラブ系の生徒が多く感じました。

 25歳以下の学生がほとんどですが、子持ちのお父さんも何人もいて、勉強に年齢は関係ないんだな、と体感で感じました。

 

 午前中はReading&Writingの授業です。先生はサスキアという若い女性の先生で、めっちゃ可愛かったので頑張れました。Readingは語彙力をつける内容がメインでした。読んだ内容を自分のもっている語彙と文法の知識で要約しなおすワークとか実力が足りないのを痛感させられました。Writingはエッセイの書き方が中心でしたが、3人組になって書く機会には議論も必要だったのでつねに頭を使っていました。(どんなシチュエーションでも意思疎通ができないとだから4技能の中で一番Speakingが大切なのでは?と思うようになる)

 13:15-14:15が昼休憩は学食でご飯を食べました。日本人以外の留学生と食べたいと思っていたけど、結局授業でつかれた頭を休めたくて同じ大学の人たちと話しながら食べてました。

 午後はListening&Speakingの授業です。先生はシーラという女性の先生で、毎日豪華なサリーをまとっていて素敵です。おちゃめな性格で、生徒とも積極的にコミュニケーションをとる方でした。Listeningは一番難易度が高かったと思います。今まで触れてきた教材とは違い、電話の音声だったり、街の音が入っていたり、早口だったり、生活の中で触れる声そのものでした。ですがクラスメイトのほとんどが理解できていなかったのでレベルが合っていないのでは?とも思います。Speakingはグループに分かれてディスカッションをしたり、週に一度はクラスメイトの前に立って発表をしました。単語や文法の知識がそれほどない生徒でもSpeakingの能力に長けている人が多くて、非常に羨ましかったです。頑張って話しているつもりでも「君は静かすぎる」と言われてしまいました。母国の授業では主にSpeakingを鍛えられるみたいな話も聞いたけど、実際どんな教育なんだろう。

 

 16:15に授業が終わったらバスでアパートまで帰ります。暗くなるのも夜19:30頃だったりして、時間はたくさんあるので都会の中心までおでかけしたりショッピングモールに行ったりできます。同じ大学の人たちについていって初めてクラブに行きましたが、私には合いませんでした。シーシャのお店に行くなどもしました。ムスリムがたくさんいて世界史の教科書の中みたいな空間だった。毎日夜ご飯をどこで食べるかが楽しみでした。課題もしっかり出るし、プレゼンテーションが結構重かったりしたので、夜更かしして準備することもありました。毎日大変で、1週間がすごく長かったです。この1か月はまったくあっという間じゃなかった笑

 

5.休日の1日

  土日は基本的にアクティビティが用意されていて、参加は自由ですが交通費がかからないし有名どころにも行けるのでできるだけ参加しました。観光名所の説明は色んなサイトに記述があるので割愛します。

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ショッピングモールに川が流れてた

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ヒジャブ売り場

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ピンクモスクの中

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クアラルンプールのど真ん中から少し入ったレストラン街

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KLタワーからの眺め(この後めちゃめちゃスコールが来た)

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ペトロナスツインタワー

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バトゥ洞窟(階段、とても怖い)

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マラッカ

 この他にもサマーランド的な施設に行く日もありました。(バトゥ洞窟とチャイナタウンの前日だったので参加しませんでした)

 

6.留学中のトラブル

 初めての海外生活、色んなトラブルがありました。ないわけがない。

・現地のSIMがつかえない

 ポケットWiFiのレンタル費用が高かったので、現地でSIMカードを購入して費用を抑えようとしました。ちゃんと情報収集ができていなかった私は、どこからか「SIMフリー端末はSIMロックを解除していく必要がない」「iPhoneSIMフリー」という二次情報を見て、SIMロック解除をしないで渡航しました。そして現地のSIMが使えず。日本の両親に連絡を取って、SIMロックを解除してもらい、なんとかWiFiがない環境でもインターネットが使えるようになりました。スマホ依存の私にはそれまでの数日がかなり辛かった。

・持ってきたドライヤーが使えない

 日本からドライヤーを持ってきたのですが、いざ現地で使ってみたらすごい勢いで作動し、焦げ臭いにおいが。ドライヤーは海外に対応している製品が多いですが自分のものはそうではなく、同室の先輩のドライヤーを借りることになりました。

・アパートの部屋の鍵が中から開けられなくなってしまう

 朝バスに乗るために部屋を出ようとしたら鍵が開かなくなってました。自分と同じバスに乗るルームメイトの二人の先輩と焦りながらも管理人さんに電話をかけ(もちろん英語)、なんとか外から開けてもらえました。朝早く出る組の3人が鍵を閉めるときに上手くいってなくて内側から動かせなくなったようです。朝はだいぶ時間に余裕があったので遅刻はしませんでした。

・Grabにクレジットカードが登録できない

 暮らしになれてきたころ、Grabでご飯を頼もうとしたらできない。カードが登録できない。理由を調べたら、SIMカードを変えたためスマホの番号が現地のものになっていて、クレジットカードに登録されている番号と違うからでした。現地についたらSIMカードより先にGrabの設定をしなきゃいけなかったのか・・・

・集団食中毒(疑惑)

 これは自分が免れたトラブルですが、日本人学生が同時に何人も同じ症状で学校を休んだ日がありました。みんな発熱し、おなかを壊していたため、「食中毒では?」といううわさが流れました。自分は直前の週末の気温がものすごく高かったことや、私が行かなかったサマーランド的な施設のプールの水が原因では?と考えていますが、原因はわかりませんでした。

・同じ大学の先輩が帰国できなかった

 3月頭、コロナへの心配感が強まってきたころです。帰国の飛行機に乗るために空港に来ましたが、先輩の一人が発熱し、起き上がるのもしんどい状態でした。その方にリーダーが付き添い、他のメンバーは搭乗しましたが、検疫で先輩とリーダーが登場できず、一緒に帰国することができませんでした。留学が終わった達成感と安堵の中で、そのことがショックでした。その方はコロナではなくインフルエンザにかかっていたこと、1週間後には帰国できたことがわかりました。海外に一人残される気持ちを思うと堪らなくなります

 

7.成果

・大抵のことは何とかなると思えた

 前述のとおりトラブルはたくさん起きましたが、結局何とかなるものですね。

・海外に友達ができた

 留学前からムスリマの友達を作ることを漠然と目標にしていましたが、実はそんなに踏み込めませんでした。その代わりに韓国から来た女の子とすごく気が合って、InstagramのDMでメッセージを送りあうようになりました。お互いの国に遊びに行く約束をするまでになりましたが、コロナ禍の影響でまだ叶っていません。留学先のクラスメイトとは主にInstagramで繋がり、今でもお互いの生活をのぞき見ては留学中のことを思い出します。

・英語学習の意識が変わった

 自分の当初の目標は最初に書いた通りですが、他の日本からの留学生は英語への意識がかなり強く、TOEICの点数を留学の成果の指針にしていたり、オンライン英会話に登録していたりしていて、自分もやらねば!と一番思わせてくれました。言語は使わないとどんどん衰えていくので、オンライン英会話に挑戦するという新たな目標ができました(未だに達成していません)

・ネイティブじゃない英語に触れることができた。

 グローバル化がますます進む世界で、職場でも英語を介してコミュニケーションをとる必要性が出てくると思います。もちろん、そこで関わるのはネイティブの英語話者ばかりではありません。留学したことで、世界中の人が英語を学んでいることを実感しましたし、その中に地域ごとの強いクセがあることも知りました。初めてアラブ圏の英語学習者の英語を聞いたら、語尾の「r」を「ル」とはっきり発音するので全く聞き取れないかもしれません。ですが、今回そうした多国籍の英語に触れられたことで、グローバルなコミュニケーションへの扉が少し開いたような気がします。また、自分自身もネイティブ的な完璧を目標にしなくても、コミュニケーションの手段としての英語に狙いを定めて勉強できる気がしました。 これが一番の成果でした。

 

8.あとがき

 長くなりましたが、最後まで目を通していただきありがとうございます。7/12に書いた部分も多いため、やや鮮度が落ちた文章になったかもしれません。ほんとに濃い1か月で、文章に起こすのが億劫になっていました。この経験を風化させずに今後も行動を起こしていかねば、とまた思えています。

 

Special Thanks : APLC